酒田市斎場設計共同体に参加
旧酒田市斎場は 火葬研(かそうけん)の先生が設計監理し当時新進の設計により作られました。
エントランスのあり様は外部そのままの開放空間で松林の自然と一体となり静かな厳粛な空間とし故人を偲ぶことを求めていたのです。
寒いからとの市民の要請で旧設計者のポリシーに気づかず囲ってしまいました。
増改築の設計を請け負ったのは私です。
当時他の設計事務所は火葬場の仕事は縁起が悪いから関わりたく無いと高値の入札で忌避し一番若かった私が落札。
その後プロポーザル方式(提案)にて新斎場の設計に再度参加できることとなり、設計中に旧設計者の設計ポリシーに遅れて気づいたのです。
新斎場の設計監理は、建築家 針生承一氏・小山恵子氏ご両名に私も参加させていただきました。
高台移転の家
被災されたクライアントは住宅再建にあたって、省エネ住宅を得たいと考え、酒田の太陽建築研究所 建築家 故 井山武司氏の建築思想にたどり着き、基本計画を依頼された。
移転先の区画がなかなか決まらない中、井山氏は体調をくずされ、私に設計及び監理を引き継ぐようにとの遺言を承った。
当時の気仙沼は、かさあげ土木工事が主流で住宅建設の環境に無かった。
生コンと電気、給排水工事以外 大工、建材等、全て山形の庄内から手配した。
12月 ~3月の建設期間 往復8時間の酒田からの通いは地吹雪の危険を伴ない、それも一度や二度ではなかった。
宿泊予約は長期作業員優先で取れず、被災した廃墟の二階にテントを張り現場監理にあたる。
廃墟は電気・水道・便所も無く、施錠も無い。周辺に人家も無い。
野良猫二匹の縄張りを荒らしたため威嚇された。
懐中電灯下での晩餐はカップヌードルとバナナ一本。
深夜氷点下8度の寒さに目が覚め放尿のため屋外に出て見上げた星空の美しさが忘れられない。
職人衆は、一ノ関レオパレスより毎日通ってもらう。
今思うと現場監理に名を借りて現実から逃避し、不便なテント暮らしを一人楽しんでいたように思う。
クライアントは当時月平均二万円にとどく売電価格があり喜んでいました。